23

 

 

23歳がもうすぐ終わる。

 

 

キリが良いとは言えない齢、でも、24歳という数字を見ると、自分も妙齢になったと実感せざるを得ない。

 

 

昔は、自分がそんな年齢になるとも思わなかった。

 

 

もっと年の若い頃といえば、なんとなく現実味がない、漫画やドラマの主人公に無理やりあてはめたような感覚でしか、未来の自分を想像できなかった。

 

 

いざ、その年齢に差し掛かれば、世間でよく言われることだけれど、わたくしも例外なく、思い描いた大人になんてなれてなどいない。

 

 



今の私は  何に憶いを馳せ、未来を憶い、生きているのか。


この先も いまを生きていく私は  一体何を憶い生きているのだろうか。


永遠はなくとも、いまは確実に続いていく。




 

刹那的な美しさは、鮮烈で、華美で、永くは続かないゆえに、その一瞬にもっとも熱がある。

 

一度、甘い蜜の味を愉しむこと知った私は、再び同じ快楽を味わう瞬間の訪れをなによりも悦び、生きている実感としてこれを噛み締めてしまえば、この幸福は至極当然なのだと傲り、悦に浸る。

 



万人に起こるありきたりな平凡さとは対極にある非日常的な現実。


その人生の過剰さこそ、特別甘美なものなのだと、いつの間にか憶えてしまった。

それに伴う苦痛さえも即ち快楽として享受して厭わない、そんな人生の娯しみ方を知った。



この優越と背徳は、いつの間にか わたくしをこの世にとどまらせる罠となり、捕らえて離さない。

  

  

 

ただただ、ひたすらに中毒性のある蜜に身を浸し なにかを 少しずつ 狂わせながら

自縄自縛の蜘蛛の糸を 自らに絡ませ この世に 生きた途を残し

 

わたくしはこの生を保って この世を生きている様。

 

 


23歳と11ヶ月

なんとかそれなりに生きてきましたことへの証を以って 

24歳の自分の命に 期待を致します。